連載小説『かすみ荘の住人たち』

連載小説を書きます!

かすみ荘の住人たち 第十八話~最期の時~

 田端さんが泰人さん達とどんな会話を交わしたのか、私にはわからない。だけど、その清々しい表情に安心した。

「悪かったな、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」

「人生はクロースアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ、ってな。これは喜劇の王様チャップリンの言葉や。わしの人生も、そんなもんかな」

「なるほどですね。なんだか、良い言葉です」
 私は穏やかな田端さんの顔からは、心に重くのしかかっていたものが全て取り払われたように思えた。
 
 それから、田端さんの体力は日に日に衰えていった。あの口調の荒さはすっかり影を潜め、やっとのことで口にする言葉からは弱さしか感じられなかった。
 それは衰えから来る弱さだけではなく、全てを穏やかに受け入れているようにも思えた。
 それが、私には余計に辛い。
 感情移入してはいけない、そう心に誓いながら私の心に溢れてくるのは強い悲しみで、そんな私は田端さんの前で涙を流さないよう必死に堪えた。
 壁に貼られた親子三人で写る写真。たった数日前のこと。どこにでもあるような家族の風景を切り取った写真には幸せしかなく、まさか、これが数十年も疎遠になっていた家族で、まさか、その中の一人が近く死を迎えるだろうとは、田端さんのことを知らない人には想像すらできないだろう。

 今にも消えそうな灯火。絞り出されるか細い声。

「悪かったな、おおきにな」

 それが、私が最後に聞いた田端さんの声だった。

ー飛鳥ちゃん、あかんわ、田端さん。心肺停止してる。来れるか? 釜谷先生には連絡してるから

 翌日、上村さんから携帯に連絡が入った。番号を見た瞬間、私は目を瞑り一つ小さく息を吐き出してから電話に出たのだった。覚悟はできていた。
 風間さんと私が田端さんの部屋に到着すると、そこには上村さんと弥生さんがいた。

「飛鳥さん・・・・・・」
「弥生さん・・・・・・」

 私たちは視線だけで語った。

 すぐに釜谷先生が診療バッグを抱えてやって来た。
 穏やかな顔で横たわる田端さんを見て、私はもう涙を堪えることはできなかった。今にも目を開け、ゆっくりと体を起こして私に話しかけてくれそうなのに。

 私が人の死に直面するのは、これが人生で二回目のことだった。

 実家から自転車で十分ほど、母方の祖母が一人で暮らしていた。祖父は私が生まれる前に亡くなったので写真の姿しか知らない。
 私はおばあちゃん子だった。母が仕事に出ていたので学校が終わると、よくばあちゃんの家で過ごしたし、反抗期を迎え母と喧嘩して家に帰りたくない時なんかもばあちゃんの家に逃げ込んだ。そのくらい、ばあちゃんのことが好きだった。
 何が好きって数え上げればきりがないけど、とにかくばあちゃんの押し付けない優しさが好きだった。さばさばとした性格だけど、私のことを優しく包み込んでくれる。
 マイペースで、人に迷惑かけることを嫌い、よく笑って、はっきりと自分の意見を言う。自分に素直に生きた人、それが私のばあちゃん。
 
 夜に降った雪が街をうっすらと白く覆う寒い日だった。

 ばあちゃんが風邪を引いたって言うので「仕事帰りに何か届けようか?」と提案した私に「大丈夫、あんたは仕事があるんだから、風邪うつると大変よ」だって・・・・・・後になれば、仕事なんかより大切なものがこの世の中にはたくさんあるんだって、当たり前のことに気が付いた。だけど・・・・・・遅かった。

 ばあちゃんを心配した母が翌朝訪ねた時には、すでに布団の中で冷たくなっていた。

「夜、眠りについて、そのまま目が覚めずに最期を迎えたいね」

 いつだったか、ばあちゃんの言った通りになった。誰かの願いが叶ったのを喜ぶことができない経験は初めてだった。
 私は罪の気持ちに押し潰されそうな毎日をやっとの思いで持ち堪えた。介護の仕事をしているくせに、自分の家族さえ守れなかった私。
 利用者さんには体を大事にして下さいなんて言ってるくせに、ばあちゃんの異変にすら気付いてあげられなかったんだ。
 こんな私がこの先も介護の仕事を続けても良いのかと考えている時、テレビで見たのが、ここ神ノ崎だった。
 この街では日々、孤立死が発生しているという現実をナレーターが暗いトーンで伝えていた。
 画面に映し出される紙パックの惣菜とカップ麺を食べる男性の後ろ姿。
私の心は動かされた。そうゆうところが、とても単純だ。影響されやすい。だけど、その時の私には使命感と言えば大袈裟かもしれないけど、ばあちゃんの死を受けてとても強い気持ちが芽生えていたことは間違いない。

「午前9時46分・・・・・・ですね」
 いつも明るい釜谷先生の神妙な面持ちに、田端さんの死をあらためて現実として受け入れる私だった。

 私は目を瞑って田端さんに手を合わせた。
「お疲れ様でしたね、良い最期を迎えられたと思うよ」
 それは釜谷先生が帰り際に、私にかけた言葉だった。
「ありがとうございました」
 私は釜谷先生の後ろ姿にさっきの言葉を重ねていた。『良い最期』って、何だろう。誰がそれを決めるのだろうか。田端さんにそれを聞くことはできないし、私が決めることでもない。

 死は誰のものか・・・・・・

 私の知らない誰かの死は、例えば数字で表される。
 ニュースや新聞、警察署の前にも交通事故で亡くなった人の数が掲げられている。それは、私にとっては感情の伴わない死。だけど、その数字に表される誰かが、もしも知り合いだとしたら・・・・・・それは、とても悲しい死になる。
 私と田端さんが出会うことなく、介護サービスを利用することがないままひっそりと息を引き取ったなら、誰もその死を悲しむ人はいなかったかもしれない。だとすれば、晩年に関わり最期を見送った人がその死を悼み、良い最期だったと感じるしかないのだろうか・・・・・・