連載小説『かすみ荘の住人たち』

連載小説を書きます!

かすみ荘の住人たち 第二十一話~孤立しないために~

 私は大学の社会福祉学部で学び、卒業論文は地域福祉に関する調査をして執筆した。
 その調査を活かして卒業後は地域に関わる仕事に就きたいと考えていたのだ。地域に生じる課題を解決するための仕組みをつくりたい。まだまだ世間知らずの若い私は、そんな漠然とした大きな夢を思い描いていた。
 当時の私の問題意識は血縁、地縁といった縁が希薄になった社会で、どうすれば単身高齢者が安全で安心した生活を送ることができるかということだった。
 そう考えるきっかけの一つは、ばあちゃんの言葉だった。

「一人は気楽だけど、不安も寂しさも大きいのよ。なんかあった時、若い時みたいに体が動くわけじゃないしね。近所付き合いも昔みたいに盛んじゃないし。毎日が日曜日ってのも退屈なもんよ」

 ばあちゃんにしては珍しい弱音だな、なんて思いながら聞いていると、すぐに「私はまだ幸せな方よ。健康だし、こうやってあなたも来てくれるしね」と、すぐに明るく振る舞って見せた。

 だけど、それはばあちゃんの心の声に違いなかった。
 今は良くも悪くもお互いを干渉しない時代。縁は希薄になったけど、SNSでは名前も顔も知らない誰かと繋がることが意図もたやすくできる。
 それが悪いことだとは思わない。だけど、ちょっとの気遣いや心配りができるつながりとか、行って楽しいと思える場所が身近な地域にあれば、情報・物理的なバリアを感じている高齢者の生活はより良いものになるんじゃないかな、と感じていた。
 そんな私にとって実習で実際に現場の様子を見たことは、とても良い機会だった。
 それは三回生の時、とある社会福祉協議会の現場実習に参加した時のことだ。その実習期間中、ちょうど定期的に行われているサロンと体操教室の開催に関わることができた。
 サロンでは百円を払えば珈琲とお茶菓子が提供され、喫茶店のような雰囲気を過ごすことができる。顔馴染みと自由に談笑したりして、みんなが楽しそうだった。
 体操教室では大勢が集まり、和やかな雰囲気で体操をすることができる。一人で継続することはなかなか難しいことだけど、同じ目標を持った仲間の存在は心強いもの。
 どちらも利用者みんなが生き生きとしていて、とても有意義な活動だと思った。
 早速、私はばあちゃんにサロンのことを提案してみた。

「せっかくだけど、あんまり、そうゆうところにはねぇ・・・・・・私には合わないわよ、きっと」

 勧めておいたくせに、その答えを聞いて私はすぐに納得できたので、それ以上の提案はせずに「そうだよね」と話を終えた。
 実習が終わっても、サロンにはボランティアとして関わり続けた。
 ばあちゃんは決して人付き合いが悪いなんていうことはない。人間関係も大切にする。だけど、ばあちゃんはそういう形式的な集いの場を好むタイプではなかった。
 運営する側には私のような学生だけじゃなくて、高齢者のボランティアも多くいて、それも当人にとって楽しみや生きがい活動の一つとなっていた。
注文を聞いたり、飲み物を運んだり、利用者と談笑したり。本当の喫茶店とは違って、ゆっくりとした作業ペースで時が進み、お客さんを待たせても怒る人はいないし小さなミスも一つの笑いになる。
 そういう形で高齢者の参加できる場があることは素敵なことだと心から思っていた。
 しかし、私が関わりを持ち始めて半年ほど経った頃、その年度をもってサロンの閉鎖が決定したと聞かされた。運営する人材の不足から利用者の減少に繋がったことが原因だった。
 高齢者のボランティアスタッフが体調不良や入院などで次々と欠けていったことが背景にあった。ボランティアスタッフに無理を押してでも活動に参加してもらうわけにはいかない。だからと言って、すぐに別のボランティアを集めるのは簡単なことではない。
 人材不足以外にも利用者の偏り、運営する側の資金の確保など、サロン活動を継続するにはいくつかの課題がある。
 利用者の多くは積極的に外に出ようとする人達で、いつも同じメンバーが集うのは仕方ないことだけど、新たな利用者が入りにくい雰囲気は多少なりとも感じられた。サロン活動は一つの形としてとても有効だけど、円滑な運営を継続するためには他に違う仕組みが必要だと私は思った。介護保険サービスを利用せず、このような場にも参加しない単身者が孤立することに繋がってしまうのだから。
 自然な形で行われる安否確認、つまり昔あった縁のような仕組みがあればいい。
 その漠然としたものを生み出すヒントを探りたくて、大学を卒業した私は訪問介護の仕事に就いたというわけだ。
 そして、今の仕事はケアマネジャー。利用者の生活を多角的に捉え、ありとあらゆる資源の活用について、漸く少しだけ考えられるようになった。

 共通価値の創造ー

 誰かの生活は、決して一人だけでは成り立たない。いろんな人達が関わっている。みんなに共通の理解が生まれ、そして、みんなにとって有益となる関わり方を作り出すことができれば最善だと思う。
 私は少し広い視野を持ち、利用者が地域社会の中で生活しているイメージを大切にしていきたい。
 だから、自分の支援内容について、これからは俯瞰してみようと思う。

 本屋さんに立ち寄って少し気分転換をするつもりだったにも関わらず、こんな感じで結局は仕事のことを考えてばかりの休日だった。

かすみ荘の住人たち 第二十話~共通価値の創造~

気温 27°
湿度 60%

 蒸し暑い・・・・・・不快極まりないこの季節。私が最も苦手とする梅雨の到来だ。
 特に今年の梅雨は、本当によく雨が降る。
 厚い雲に覆われた曇天の空に、気持ちまでどんよりとする。
 今日は珍しく平日に有給を取った。用事があるわけじゃないけど、働き方改革ってやつ。

「緊急対応は任しといて! ゆっくりしなさい」

 風間さんがそう言ってくれるのは嬉しかったけど、慣れない平日の休みに何をすれば良いのか戸惑ってしまう自分が嫌で仕方ない。
 仕事を休むことは、もちろん嫌いじゃない。だけど、ここ最近、仕事に熱心になり過ぎていた私は、どうやら休日の過ごし方を忘れてしまっているみたい。余暇の楽しみ方を見失っているようだ。
 土日の休みは食材や日用品の買い出しをしたり、掃除をしたり、一週間の締めくくりと、翌週の備えに時間を費やしている。火曜日だとどうも調子が狂う。平日の閑散とした街の様子は、私を迎え入れてはくれそうにない。
 
 さて、何をしようか-

 考えに考え、迷いに迷った挙句、たまには雨の景色を楽しもうと、重い腰を上げて下駄箱からレインブーツを取り出した。
 細かな雨粒がさらさらと落ちていた頃は、雨もなかなか風情があると思いながら穏やかな気持ちだった。それが、少しずつ激しさが増して傘に打ちつける雨音が大きくなると、ただただ外に出たことを後悔する他なかった。
 
 雨宿りにふらりと立ち寄った書店。ついでに立ち寄ったとは言え、せっかくの機会だ。どうせ暇だし、ゆっくり過ごそうと気を取り直した。
 このところ、仕事のことに頭を使ってばかりの私は、たまには何か違うことに目を向けなければいけないと感じていた。
 タイトルや表紙に並ぶ見慣れない文字が久しぶりに俗世界へと帰ってきた私の脳をチクチクと刺激する。
 普段の私が得る情報はインターネットを通じてのものがほとんど。スマホがあれば、いつでもどこでも様々なことを調べられるのは便利だけど、自分の知りたい情報だけを得たらそれで終わってしまう。だから私の携えている情報は偏っている。
 私はあえて日頃関わることのない分野の雑誌コーナーに足を運んだ。ファッションや旅行や料理、雑貨や経済情報。どれも日常から少し距離を置いているものばかり。ダメだなぁ、と私は思った。今の私の心に余裕がない証拠だ。あまり体型が変わらないのは私の自慢。だから、良くも悪くも服は学生の頃に買ったものばかり。今の季節はネルシャツ、ジーンズにスニーカーがヘビーローテーション。季節的には色鮮やかなワンピースなんか良いんだろうけど、見た目よりも機能性を重視する私には、悲しいかな着る機会がない。
 そう、私に新たな情報が不足しているんじゃなくて、今の私はそういった情報を必要としていないのだ。それだけ今の私の中では仕事が大きなウェイトを占めているということ。少し足を止めて冷静に考えてみると、二十代の女性にとっては、それって悲しい事実なのかも。
 だけど、これは自分が選んだ道だから仕方ない。誰も私のことを知る人がいない場所で仕事に没頭して生きる道を選んだのは私自身だ。

 それでも、やっぱり好奇心はくすぐられた。雨宿りする程度にしか考えてなかった書店には、意外にも必要としていた情報が多かった。
 来月、東京で幼馴染みの結婚式がある。どんな髪型にするか、服は何を着るか、アクセサリーはどうするか。私は何冊ものファッション誌をチェックした。滅多にない機会だ。東京の観光スポットも調べておきたい。旅行誌にも目を通し、良さそうな場所をいくつか頭にインプットした。
 
 とにかく、今回ばかりはいつものカジュアルな装いから脱却して、大人の雰囲気を醸し出したい。外見も内面も、私を構成するもの全てを駆使して大人の女性を演出するのだ。久しぶりの再会に花を添えたい。
 一通りの旅行誌に目を通すと、次に隣の経済誌コーナーに目を向けた。これからは資産運用などで自助努力が必要なんて言われている時代。長期的にお金のことも考えておかなければと思いながらも、私はそういったことには特に疎い。
 読みやすそうな一冊を手に取ると、パラパラ漫画を見るように指を滑らせてページをめくる。見慣れない専門用語が躍る書面の中、少しだけ私に馴染みのある言葉が視界に入った。
 
 それは、まさに昨日の出来事だったー

「久保さん、これどうゆうことですか?」
「このデータはCSVファイルで保存するってことです」
「シー、エス、ヴィ?」
「はい、CSV
「よくわかりませんが・・・・・・覚えておきます」
「この方がエクセルファイルより互換性が高いんです」
 役所に提出する書類の保存形式がCSVファイルと指定されていた。恥ずかしながら、私には初めましての用語だったので、いつものように久保さんに助けを求めたというわけだ。
 パソコン関係に弱い私ですら、さすがに昨日のことならはっきりと記憶に残っている。そのCSVが、なぜここで登場するのか私には理解できなかった。互換性が良くて経済にも応用が効くのか・・・・・・そんなバカなことはない。

「クリエイティングシェアードバリュー?」

 昨日、私がつまずいたCSVとは全くの別モノ。ここではcreating shared valueの略として使われていて、日本語では『共通価値の創造』という意味らしい。
 企業が社会に存在する課題に主体的に取り組むことで社会的価値を創造して、結果として経済的価値も創造するということ。つまり、社会と企業にとってWIN-WINの関係性が成り立つらしい。
 私には目からの鱗だった。とてもおもしろい。漠然としたものだけど、私が近い将来に目標と掲げていることに活かせるような気がした。その目標こそ、私がこの仕事をしている理由と言っても過言ではないのだ。
 超が付くほど進展した日本の高齢化が大きな社会課題というのは周知の事実。だからと言って、長生きすることや高齢者が悪いわけじゃない。高齢者を取り巻く制度や仕組み、地域や人々の優しさなんかも含めて、まだまだ社会が醸成されていない気がする。
 私がそう感じているだけかもしれない。だけど、それは肌で感じ、そして身をもって体験していること。私の知る限り、この社会で生き辛さを感じている高齢者は大勢いる。それが課題だと思う。

かすみ荘の住人たち 第十九話~寂しいお葬式~

 慣れない死に直面する私をよそに、上村さんが手慣れた様子でエンゼルケアを開始した。風間さんが私に葬儀会社へ連絡するように指示を出す。
 「死亡診断書は後で届けるって伝えて」と、水の入った鍋をコンロにかけ、タンスから手際よくタオルを取り出す風間さんが言った。
 私はその様子を眺めながら、部屋の片隅で事前に風間さんから聞いていた葬儀会社に連絡を入れた。
 一時間ほどでお迎えに来てくれるそうだ。その間、私も田端さんの体を綺麗にさせてもらった。

 こんなことは、ケアマネジャーの研修では教わらない。もちろん、本来の業務の範疇でもない。だけど、私にはそんなことは気にならなかった。こうすることが、田端さんをお見送りするために今、私にできる最善のことだと、自然と体が動いた。

 事務所に戻り、私は信子さんと泰人さんに連絡を入れた。
 「そうですか」と、冷静に受け入れながらも、その言葉に続いた余韻には悲しみを感じた。葬儀には二人で参列してくれるそうだ。
 田端さんの葬儀は生活保護の葬祭扶助から行われる。福祉葬と呼ばれるものだ。私の事業所では葬儀に参列し、お見送りをして支援は終結する。
 その理由を「行ってみたらわかるよ」と風間さんが言った。

 その日は、しとしとと新緑の木々を雨が濡らす一日だった。弥生さん、上村さん、風間さんと私が葬儀会場に向かうと、部屋の前のソファに座る男女の姿があった。信子さんと泰人さんだ。
 「この度はありがとうございました」と深くお辞儀をする二人に「さぁ、どうぞ」と、風間さんが信子さんの背にそっと手を当てた。
 私達は二人に続いて入室した。
 八畳ほどの和室に供えられた祭壇。それは、私の知る豪華に装飾されたものとは随分とかけ離れた祭壇だった。
 棺桶の両脇に並ぶ質素な供花。そこには送り主の名前などなく、それは恐らく葬儀会社が慣例的に準備したもので、飾られた遺影は私がスマホで撮影した小さな写真。
 参列者は、私達だけ。
 私は座布団に座り、バッグから数珠を取り出し手を合わせた。
 私は想像していた。私が田端さんと関わりを持たず、ここに弥生さん以外の誰一人としていない葬儀の様子を。
 もし、弥生さんみたいに親身にお世話してくれる大家さんがいなければ、誰も参列しない葬儀が日々、どこかで執り行われているに違いない。
 私は風間さんの言葉の意味を理解した。多くの人達に祝福されて誕生した生命が、誰からも弔われることなく、人知れずこの世から消えていく瞬間がいかに寂しく切ないものであるか。
 身寄りのない単身者には思い出の品を引き取る者がいなければ、遺族による法要などの宗教儀式もない。つまり、彼らの生きた証は、やがてこの世に何一つとして残らなくなってしまう。
 その証をしっかりと心に刻むこともまた、私の使命のような気がした。
 小さな写真の中で照れ臭そうに微笑む田端さんの姿。たった数分間の読経を耳にしながら、私は田端さんとの思い出を偲んだ。
 柩に眠る田端さんは穏やかだった。とても綺麗な顔で、ありきたりな表現だけど、まるで眠っているようだった。

「ありがとうございました」

 私はそう田端さんに感謝の気持ちを伝えた。
 柩に一輪ずつ花を手向けて、田端さんとの本当の別れの時が近づく。
 これから田端さんのお骨は斎場で保管され、来年の秋に市の合葬墓に埋葬されるそうだ。
 霊柩車を見送る私達に降り注ぐ雨は、一段と激しさを増していた。 重苦しく厚い雲の下、クラクションの音が鳴り響いた。

「葬儀に参列してどうやった?」
 事務所に戻り、席に着いた風間さんの第一声がそれだった。
「どう言えばいいのか・・・・・・」
 いろいろと思うことがあった。だけど、私にはその思いをどう表現すれば良いのかわからなかった。
「亡くなったら介護保険は関係ない、そんなところまで対応してたら時間がない、なんて言う人もいる。そやけど、あの葬儀に参列すると、そんなこと言ってられへん思うんよね、私は」
「私も、そう思いました」
 制度や規則に縛られない、感情によって動かされるもの。そこに科学的根拠は存在しない。それは、決して良いことじゃないかもしれない。だけど、通り一遍の支援だけでは充足できないこともあるし、何より私の気持ちが満たされない。自己満足かもしれないけど、自分の気持ちに妥協したくはないと思うのだった。
「ただ、遺影が気になりました」
「良い写真撮ってくれてたやん。人によっては遺影すらない葬儀もあるからね」
「やっぱり、ですよね」
「なかなか写真を撮る機会ってのがないのよね、単身の高齢者は」
 私は風間さんの言葉に納得した。
 若い世代の私達は、スマホを使っていつでもどこでも簡単に写真を撮ることができる。気に入らなければ何度でも撮り直せばいい。現像だって自宅でできる時代だ。
 昔は違う。カメラは高価な物だったし、写真館で家族写真を撮るなんて、よほどのイベントの時か裕福な家庭じゃない限り稀なこと。
 今の高齢者でもスマホやカメラを使いこなす人は大勢いるけど、単身高齢者の場合は自分の写真を撮る機会が圧倒的に少ない。
 そもそも、誰かと会う、どこかに出掛ける。そんな思い出を残す活動自体珍しい。私だってそう、誰かと会うことがなければ、好き好んでカシャカシャと自撮りなんてしない。
 特にこの地域の人達は生涯独身だったり、家庭のトラブルで別れたりという理由で家族写真がないことも多い。だから、亡くなった時に部屋中を探しても写真が見つからないケースはとても多いそうだ。
 これは大きな課題だと私は感じた。亡き人の尊厳とでも言うべきだろうか。これからの時代、そんなことも考えておく必要があると私は感じた。
 私は田端さんの支援ですべきことを記したto do listを開いた。

*家族との再会を果たす
*緊急時に連絡、対応できる仕組み作り
*亡くなった時の主治医への連絡、死亡確認依頼
*葬儀の手配
*最後のお見送り
福祉用具等の引き上げ

 達成した項目の横にチェックしたレ点。しなければいけないことを一つ一つ記しておくのは、私みたいなすぐに慌てる性格の人間にとっては良いことだ。そして、新たな気付きがあれば追記したらいい。そうしておけば、次の機会に活かすことができる。
私は『最後のお見送り』の横にレ点を書いた。
「あとはベッドを引き上げてもらわないと」
 そう呟いてノートを閉じた私は、すぐに再び同じページを開けた。そして、最下段に『遺影の課題について考える』と書き加えて赤丸で囲った。

かすみ荘の住人たち 第十八話~最期の時~

 田端さんが泰人さん達とどんな会話を交わしたのか、私にはわからない。だけど、その清々しい表情に安心した。

「悪かったな、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」

「人生はクロースアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ、ってな。これは喜劇の王様チャップリンの言葉や。わしの人生も、そんなもんかな」

「なるほどですね。なんだか、良い言葉です」
 私は穏やかな田端さんの顔からは、心に重くのしかかっていたものが全て取り払われたように思えた。
 
 それから、田端さんの体力は日に日に衰えていった。あの口調の荒さはすっかり影を潜め、やっとのことで口にする言葉からは弱さしか感じられなかった。
 それは衰えから来る弱さだけではなく、全てを穏やかに受け入れているようにも思えた。
 それが、私には余計に辛い。
 感情移入してはいけない、そう心に誓いながら私の心に溢れてくるのは強い悲しみで、そんな私は田端さんの前で涙を流さないよう必死に堪えた。
 壁に貼られた親子三人で写る写真。たった数日前のこと。どこにでもあるような家族の風景を切り取った写真には幸せしかなく、まさか、これが数十年も疎遠になっていた家族で、まさか、その中の一人が近く死を迎えるだろうとは、田端さんのことを知らない人には想像すらできないだろう。

 今にも消えそうな灯火。絞り出されるか細い声。

「悪かったな、おおきにな」

 それが、私が最後に聞いた田端さんの声だった。

ー飛鳥ちゃん、あかんわ、田端さん。心肺停止してる。来れるか? 釜谷先生には連絡してるから

 翌日、上村さんから携帯に連絡が入った。番号を見た瞬間、私は目を瞑り一つ小さく息を吐き出してから電話に出たのだった。覚悟はできていた。
 風間さんと私が田端さんの部屋に到着すると、そこには上村さんと弥生さんがいた。

「飛鳥さん・・・・・・」
「弥生さん・・・・・・」

 私たちは視線だけで語った。

 すぐに釜谷先生が診療バッグを抱えてやって来た。
 穏やかな顔で横たわる田端さんを見て、私はもう涙を堪えることはできなかった。今にも目を開け、ゆっくりと体を起こして私に話しかけてくれそうなのに。

 私が人の死に直面するのは、これが人生で二回目のことだった。

 実家から自転車で十分ほど、母方の祖母が一人で暮らしていた。祖父は私が生まれる前に亡くなったので写真の姿しか知らない。
 私はおばあちゃん子だった。母が仕事に出ていたので学校が終わると、よくばあちゃんの家で過ごしたし、反抗期を迎え母と喧嘩して家に帰りたくない時なんかもばあちゃんの家に逃げ込んだ。そのくらい、ばあちゃんのことが好きだった。
 何が好きって数え上げればきりがないけど、とにかくばあちゃんの押し付けない優しさが好きだった。さばさばとした性格だけど、私のことを優しく包み込んでくれる。
 マイペースで、人に迷惑かけることを嫌い、よく笑って、はっきりと自分の意見を言う。自分に素直に生きた人、それが私のばあちゃん。
 
 夜に降った雪が街をうっすらと白く覆う寒い日だった。

 ばあちゃんが風邪を引いたって言うので「仕事帰りに何か届けようか?」と提案した私に「大丈夫、あんたは仕事があるんだから、風邪うつると大変よ」だって・・・・・・後になれば、仕事なんかより大切なものがこの世の中にはたくさんあるんだって、当たり前のことに気が付いた。だけど・・・・・・遅かった。

 ばあちゃんを心配した母が翌朝訪ねた時には、すでに布団の中で冷たくなっていた。

「夜、眠りについて、そのまま目が覚めずに最期を迎えたいね」

 いつだったか、ばあちゃんの言った通りになった。誰かの願いが叶ったのを喜ぶことができない経験は初めてだった。
 私は罪の気持ちに押し潰されそうな毎日をやっとの思いで持ち堪えた。介護の仕事をしているくせに、自分の家族さえ守れなかった私。
 利用者さんには体を大事にして下さいなんて言ってるくせに、ばあちゃんの異変にすら気付いてあげられなかったんだ。
 こんな私がこの先も介護の仕事を続けても良いのかと考えている時、テレビで見たのが、ここ神ノ崎だった。
 この街では日々、孤立死が発生しているという現実をナレーターが暗いトーンで伝えていた。
 画面に映し出される紙パックの惣菜とカップ麺を食べる男性の後ろ姿。
私の心は動かされた。そうゆうところが、とても単純だ。影響されやすい。だけど、その時の私には使命感と言えば大袈裟かもしれないけど、ばあちゃんの死を受けてとても強い気持ちが芽生えていたことは間違いない。

「午前9時46分・・・・・・ですね」
 いつも明るい釜谷先生の神妙な面持ちに、田端さんの死をあらためて現実として受け入れる私だった。

 私は目を瞑って田端さんに手を合わせた。
「お疲れ様でしたね、良い最期を迎えられたと思うよ」
 それは釜谷先生が帰り際に、私にかけた言葉だった。
「ありがとうございました」
 私は釜谷先生の後ろ姿にさっきの言葉を重ねていた。『良い最期』って、何だろう。誰がそれを決めるのだろうか。田端さんにそれを聞くことはできないし、私が決めることでもない。

 死は誰のものか・・・・・・

 私の知らない誰かの死は、例えば数字で表される。
 ニュースや新聞、警察署の前にも交通事故で亡くなった人の数が掲げられている。それは、私にとっては感情の伴わない死。だけど、その数字に表される誰かが、もしも知り合いだとしたら・・・・・・それは、とても悲しい死になる。
 私と田端さんが出会うことなく、介護サービスを利用することがないままひっそりと息を引き取ったなら、誰もその死を悲しむ人はいなかったかもしれない。だとすれば、晩年に関わり最期を見送った人がその死を悼み、良い最期だったと感じるしかないのだろうか・・・・・・

かすみ荘の住人たち 第十七話~再会~

ー田端は、元気にしてますか・・・・・・

 漸く聞こえたその声は、僅かに震えていた。

 それから数日後、私は田端さんを訪ねた。

「だいぶ食事量減ってるわ・・・・・・」

 看護ステーションの管理者上村さんからそう聞かされていた。その言葉が意味することは、いよいよ先が長くないということだとわかった。
 彼女は風間さんと同じく経験豊富で頼りになる看護師さん。だけど、冷静沈着な風間さんとは対照的で、燃えるように熱い女性だ。その勢いに私は時々置いてけぼりにされてしまいそうになる。
 田端さんはベッドで長座位になり、テレビから流れるワイドショーをぼうっと眺めていた。この短期間で体の線が随分と細くなった。
「こんにちは、田端さん」
「おお」
 こちらをに顔を向けることなく、その一言だけで私を迎えた。
「どうですか、体調は」
「プロなら見たらわかるやろ、この通りや」
「少し痩せたみたいですね」
「骨と皮だけやな」
 声に覇気はなく、話すスピードもゆっくりに感じられた。私はベッドサイドに腰を下ろし、田端さんの表情をよく確認してから切り出した。
「あの、先日の電話の件ですが」
 「あぁ、あれな。すっかり忘れてたわ」と、やっと私に顔を向けた。
「ダメやったやろ? 繋がらんかったんちゃうか?」
「いえ、ちゃんと繋がりましたよ」
「どうや、もう死んでたんちゃうか」
 私は質問の返答をせず、少し声のボリュームを上げて「会いたいですか?」と、逆に質問を投げかけた。
「会いたいも何も、もうすぐしたら嫌でもあの世で会えるわな」
 田端さんは再びテレビに視線を向けた。
「まぁた、芸能人が離婚やて。しょうもない話題ばっかりやな」
「もう一度だけ、聞きます、真剣に。会いたいですか? これ、最後のチャンスです」
「何が最後のチャンスや、クイズ番組みたいに」
 頑固なのか半ば諦めているのか、そのどちらともわからない言葉は、とても投げやりなものだった。
「田端さん!」
 私は少しだけ語気を強めた。
 田端さんは無言のままベッドのギャッジアップ機能を使い、ゆっくりと体を起こした。

「会いたい言うたら会えるんかいな。わしに会いたくない理由なんかあるはずない。会いたいなんてことを口に出したら、余計惨めになるだけやがな」

 それは、とても弱々しい声だった。きっと、この人はこれまでの人生でどんなに辛いことに直面しても虚勢を張って生きてきたんだ。
「わかりました」
 ゆっくりと立ち上がり、部屋を後にする私に「チッ」と、舌打ちする音が聞こえた。私がいなくなって一人残された部屋で、田端さんは放心状態となるに違いない。
 悲哀、後悔・・・・・・複雑に混じり合った心境が彼を襲い、だけど、何も行動に移すことができない自分の不甲斐なさに押し潰されそうになって・・・・・・私はその時間を少しでも短くしようと、できる限り早く、再び戸を開けた。
 ゆっくりと顔を上げた田端さんは、全ての不幸を背負いこんだような表情を浮かべていた。
「すみません」
「いいんや、因果応報てやつやな」
「違うんです、騙したみたいでごめんなさい、でも・・・・・・」
 田端さんの表情は、まるでスローモーションのように移りゆく。それは、なんとも形容し難いものだった。驚きや喜び、悲しみだけじゃない、ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになって、その顔に貼り付いていた。

「信子・・・・・・泰人・・・・・・」

 サプライズのつもりじゃなかった。きっと、事前に打ち明ければ意地っ張りな田端さんの拒む姿が想像できたから、私はこの方法をとった。
 田端さんは頑固じゃなくて、素直じゃないだけ。それが田端さんだと、私にはわかっていた。

 数十年振りに出会う家族。私は二人を中へ招くと、そっと退室した。

「飛鳥さん、待ってる間に一緒に食べよ」
 一階の入口付近で所在なく佇む私に、弥生さんが信子さん達の手土産を見せて微笑んだ。弥生さんには、私の心を見透かされているような気がした。自分の行動が本当に正しかったのか、それとも間違いだったのか、そんな板挟みの状況でもがく私の気持ちを。
 もしかすると、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないかって、今さら頭を痛めている私は、管理人室の和室に背中を丸めて正座をした。
「良いことしたと思うよ、私は」
 私から何かを言ったわけじゃない。だけど、そう声をかけてくれた弥生さんは、やっぱり私の心境をわかっていた。
「そうですかね・・・・・・」
「難しいでしょ、この辺りの年寄りは。壮絶な人生を歩んでる人が多いから。自分でも、どうしたらいいか、わからん人も多いしね」
「会って、良かったんですかね・・・・・・」
「会いたくなかったら、二人とも来てないよ」
「田端さんは、会えて本当に幸せなのかな・・・・・・」
「会いたくないと思ってた人が電話番号教えるわけないでしょ」
 どちらも冷静に考えれば当たり前の話。だけど、弥生さんからその言葉を聞いた私は安心した。そんなつもりはないけど、この行動がただの自己満足なんじゃないかっていう思いが私の中で時々現れていた。
「まぁ、久しぶりの再会はしばらく時間かかるやろから、お饅頭でもいただいて待ちましょ」
「はい、ありがとうございます!」
 それから約三十分。少しゆっくりし過ぎたと思い部屋の様子を見に行こうとした時、ちょうど管理人室の窓からこちらを覗き込む信子さんと目が合った。
 私は慌てて立ち上がった。足の痺れに思わずよろめいた。
 右上腕を泰人さんに支えられた信子さんは、私に向けて深々とお辞儀をした。花柄のワンピースに羽織った薄手のカーディガン。容姿だけじゃなく口調も上品な信子さんと田端さんが夫婦だったとはとても思えなかった。もしかすると、一人で生活をするようになって、田端さんは変わってしまったのだろうかとさえ感じてしまう。
「ありがとうございました、いろいろあったけど、会えて良かった。息子もずっと気にしてたんです」
「父がお世話になりました」
 田端さんとはまるで正反対、見るからにおとなしい感じの泰人さんは間違いなく信子さんに似た。そう思わせる丁寧な口調だった。
「あまり病状が良くなさそうですね」
「ええ、最近は食事量も減ってきてます」
「そうみたいやね・・・・・・」
「あと、どれくらいなんでしょう」
「恐らく、一ヶ月もつかどうか・・・・・・」
「見ての通り、私も体が良くなくて。ほら、電話をいただいた時に出た女性。あれ、ヘルパーさんなの。一人では生活もままならない状態なのよ。こんなに遠くまで出たんも久しぶりで」
「このまま、父を最期までお願いできますか? どんな事情があったにせよ、息子がこんなこと言うのは恥ずかしい話ですが、私もなかなか来ることができないので」
「はい、もちろん、大丈夫です」
「ありがとうございます。こうやって、数十年振りに会うことができたんで、せめて葬儀だけは参列させていただきます」
「は、はい、宜しくお願いします」
「それでは、これで失礼させていただきます。宜しくお願い致します」
 僅か三十分程。この再会は、数十年という空白の時間をどれだけ埋めることができたのだろうか。
 私には泰人さんが言った「葬式だけは」の一言が胸に引っかかった。

かすみ荘の住人たち 第十六話~電話の向こう側~

「結論から言うと、わしは家族を捨てて逃げ出した。妻と息子を置いて出てきたんや」
「そうですか・・・・・・何か事情があったんですか」
「わしがお人好しやったんや。知人の借金の保証人になってな。情けない話やけど、裏切られた。信用してた男やったけど・・・・・・金は人を変えてしまう」
「それは、お気の毒でしたね」
「病床に伏す哀れな老人が語ればお気の毒に思えるやろうけど、本当にお気の毒なのは家族二人や」
「そんなこと・・・・・・」
「ドアホが借金を作って、その張本人が逃げてきたんやからな。最低な男や」
「けど、奥さんや息子さんに迷惑をかけたくなかったから、そうしたんじゃ・・・・・・」
「ああ、もちろん返済はわしの責任や。迷惑かけたくなかったのも事実。だからと言うて、せっかくの家を売ってしもたらなぁ。結局は迷惑だけを残して一人この街に流れ着いたってわけや」
「奥さんや息子さんとは、それ以来会ってないんですか」
「かれこれ、四十年は会ったことがない」
「四十年・・・・・・」
「そんな親子、想像できるか?」
 もちろん、私には非現実過ぎる話。私なんか、この年齢になっても毎日母とLINEのやり取りをしているくらいなのに。
「会いたいと思いますか」
 少し視線を落とした田端さんが次に発した声は、これまでよりも随分と小さかった。
「今まで合わせる顔がないと思ってたけど、いざ死を意識するようになると、勝手なもんでな・・・・・・」

 田端さんの口からはっきり「会いたい」という言葉は聞かれなかった。だけど、その言葉に残す余韻と表情から気持ちが伝わった。
「連絡先、わかりますか?」
「わかるが、きっと変わってるんやないかな」
「教えて下さい。私、かけてみたらダメですか?」
 無意識だった。それが、あまりにも出しゃばった申し出だということにさえ気付いてなかった。
 田端さんはおもむろに腰を上げると、タンスの一番上、小さな引き出しから黒い手帳を取り出した。そして、すんなりと、あるページを開いて無言で私に差し出した。そこには走り書きの名前と電話番号が記されていた。
「信子さん? ですか?」
「ああ」
「ホントにかけてみてもいいですか?」
「勝手にせぇ。どうせ繋がらんし繋がっても邪険に扱われて終わりや。そやから、先に言うとく。気分悪くしても恨みっこなしや」
「繋がるといいですね」
 そう言って、私は笑顔を作った。
「どうでもええわ」
 ゆっくりとベッドに仰向けになる田端さん。私はその顔を覗き込み「相変わらず素直じゃないですねぇぇ」と、語尾を伸ばした。
「用事すんだやろ、はよ帰れ!」
 田端さんは寝返りをうつと、私に背を向けた。
「事務所から電話してみますね。また、結果をお伝えします」
 
 何も言わず、ただ右手を挙げた田端さんの表情は確認できなかった。でも、きっと私に寄せる期待は大きいに違いない。私はこの重大な任務の全ては、私の勝手な思いで移す行動だと決めた。そうすれば、どんな結果になろうと田端さんのプライドが少しでも保たれると思うのだった。

 デスクに座り、電話を見つめること十五分。いざとなると、どう話せば良いのかわからない。何とも言えない緊張が私を襲っていた。
 最大の不安は、あちら側の心情が全くわからないこと。私の電話で思い出したくない過去がフラッシュバックするかもしれない。だけど、もし、僅かでも会いたいという気持ちがあるならば、亡くなったという知らせは時すでに遅しだ。
 私は葛藤していた。こんな時に限って風間さんは有給休暇。だからと言って、ターミナル状態の田端さんは、いつ何が起こるかわからないので先延ばしにはしたくない。
 「よし」と、私は気を引き締めて受話器を手に取り、メモ帳に控えた電話番号をゆっくりと押した。

 受話器から聞こえるコール音。まずは電話が繋がったことに胸を撫で下ろす。
 一回、二回、三回・・・・・・七回、八回・・・・・・心の中で回数を唱える私。留守だと思って、そろそろ受話器を置こうとした九回目のコール音が鳴った時、受話器の向こうから女性の声が聞こえた。
 それは私が想像していたよりも随分と若い声だった。

「もしもし、突然すみません。あの・・・・・・そちらに、信子さんという方はいらっしゃいますか?」

ーお宅、どちら様ですか

「あっ、すみません、私はつながりケアセンターの鈴木と申しまして・・・・・・信子さんという方のお宅の電話番号がこちらとお聞きしたのですが・・・・・・すみません」
 
 まるで定型分のように、すみませんを繰り返す私。昔から緊張に弱い。

ー何の御用ですか

「信子さんにお伝えしたいことがありまして」

ーどういったご用件でしょうか

「失礼ですが、信子さん、ですか?」

ーいえ、私は違いますが

 その声から五十代くらいと思われる女性の不信感が、受話器を通してひしひしと感じられる。確かに私の発するたどたどしい言葉からは、十分に怪しさが滲み出ていると我ながら思う。

「申し訳ございません、まず、信子さんのお宅で間違いないか確認したいんです。話の内容が、ある方にとってかなりプライベートなことなので」

ーいきなり電話してきて、そちらのプライベートな問題だからって、ちょっと意味がわからないですが

「そうですよね、すみません」

 この終わりそうもないやり取りは、電話越しの少し離れた所から聞こえた女性の声によって終止符が打たれた。

ー(誰かしら・・・・・・私が話してみましょう、代わって下さい)

「もしもし」

ーどちら様ですか?

 たった一言。その声のトーンと抑揚のない喋り方から、さっきの女性と同じように私を不審者扱いする様子が十分に伝わってくる。ただ、この人なら話を聞いてくれそうだと、直感が働いた。

「私は、つながりケアセンターというところでケアマネジャーをしている鈴木と申します・・・・・・あの、突然で本当に申し訳ございません。私、実は、田端実さんという方の担当ケアマネジャーをしてまして・・・・・・」

 田端さんの名前を出したのは、思いきった発言だった。相手の心情に対して一切の配慮が欠けていたと反省しながらも、いつかはその説明が必要だから仕方ないと思って切り出した。
 私の言葉を最後に受話器の向こうからは、何も聞こえてこない。このまま、電話を切られてしまいそうな気がした。
 電話の相手が本当に信子さんなのかわからない。もし、そうだとしたら彼女が一体どんな表情をしているかさえもわからぬまま、ただ沈黙だけが続いた。

かすみ荘の住人たち 第十五話~私のすべきこと~

 田端さんの部屋にこれまで頑なに拒み続けていたベッドが搬入される日。私は福祉用具事業所の相談員、今井さんに同行した。
 漸くベッドの利用に至ったのは、先日布団から立ち上がる時に転倒して、冷蔵庫で頭をぶつけたことが原因だ。幸いなことに怪我はなかった。もう少し早い段階で導入できなかったものかと省みたけど、結果としては決して間違いじゃなかったと思っている。
 田端さんの強い意思は、彼の生きるエネルギーとなっているに違いないからだ。その意思を尊重しないことは、田端さんのエネルギーを吸い取ってしまうようなもの。

「ずっと、そうやって人生を歩んできたから、失敗することもあったし痛い目にも遭ったわなぁ」
 「ホントに頑固ですよね」と、冗談ぽく言った私に田端さんが苦笑いを浮かべて返した答えがそれだった。
 体調が悪くなって、固く結われた田端さん心の糸が少しずつ綻び始めた気がする。
 田端さんが和歌山県出身ということは知っていた。だけど、私が確認している田端さんに関するプライベートな情報はその程度で、彼の過去について他に把握していることは何もなかった。本当はアセスメントをする上で知っておかないといけない情報だけど、田端さんに限らず過去を語らない人がこの辺りには多い。

「わしには語る過去なんてないわ」

 過去を捨てた田端さんが、真新しいベッドに身を委ねて私達に語った。
「畳に布団は腰や背中が痛かったから、ええマットレスでよく寝れそうやわ、ありがとうな」
「気に入っていただけて良かったです。また不具合などありましたらご遠慮なく仰って下さい」
 今井さんと目が合った瞬間、田端さんが見せた憂いを帯びた顔を私は見逃さなかった。
「にいちゃん、いくつや? 四十半ばくらいか?」
「四十七ですが、どうかされましたか?」
「こう見えて、わしにもにいちゃんくらいの息子がおるんや」
 それは、まるで独り言とも思えるような小さな呟きで発せられた言葉だった。
 「へぇ、そうなんですね」と、返す今井さん。私にとっても初耳だったけど、あえてそれ以上の質問はこの場では控えることにした。
「また、来ますね」
「おおきにな、気ぃつけて」
 いつもより優しい口調に、なんだか後ろ髪を引かれる思いだった。
 複雑な気持ち。必ず死が訪れることを理解しているくせに、それが一歩ずつ近付いている事実にやっぱり不安が込み上げてくる。
「不安を軽減するには、どうすればいいかわかる?」
 相談したつもりが、風間さんから逆に質問をされてしまった。
「心を強く持つ、ですかね・・・・・・」
「じゃあ、心を強く持つためには?」
「・・・・・・修行?・・・・・・」
 ふうっと、風間さんから呆れたため息が一つ漏れた。
「山にでも籠もっとき」
「すみませーん」
 わからない質問に対して、とぼけた答えをするのが最近のやり方。そして、そうなると呆れた風間さんが正解を教えてくれるという一連の流れが確立しつつある。
「この先に起こり得ることを想定して、準備しておけばいいんよ。ただ、それだけ」
「それって、簡単ですか?」
 「めっちゃ難しいよ」と、やっぱり冷静な風間さん。
「ですよね・・・・・・」
「けど、慣れたら大丈夫。経験よ経験。で、あとはよく考えること、かな」
「考えること、ですか」
「そう、経験を基に考えること。ちょっと意地悪な言い方したけど、経験が少ないうちは、まず誰かに教えてもらわないとね」
「その誰かっていうのは? 誰ですか?」
「それは、職場の先輩とか。ということは、つまり、私なんやけどね」
 風間さんが少しいたずらに笑ったので、私も負けじと「じゃあ、教えて下さい」と、口を尖らせた。

 私は風間さんから今後の支援の過程について具体的な話を聞いた。私はターミナルの支援に関する自分の考え、思いを風間さんに向けてアウトプットする。そして、風間さんが私に質問を返す。時にはその豊富な経験談が語られ、私がそれをインプットして、思ったことをさらにアウトプットする。そのやり取りを続けていくことで、私の中でターミナルの利用者さんに対する支援のあり方が醸成されていく感じがした。一人頭の中で思い描くだけでは不足していたイメージが浮かび上がって形となる。
 私はこれから確認すべきことをto do list として記した。
 田端さんの最終的な目標は、自宅で安心して最期を迎えること。これは今の時点で揺るぎない事実。そのプロセスですべきことを具体的に考え、それらに関わる対応について予め検討しておくための道標が少しずつ見えてきた気がする。
 その一つ、田端さんの口から出た「息子」という言葉は重要なキーワードだと思うのだ。きっと、次に田端さんと会う時、私は自発的にその話題について触れる必要があるに違いない。
「このタイミングで息子さんの話をしたということは、会いたいんやろね」
 やっぱり、風間さんも私と同じ考えだった。
 ベッドの使用状況を確認するために二日続けて訪問するのは、ごく自然なことだった。
「どうです、よく眠れましたか」
「寝心地抜群やな、良かったわ」
 田端さんはベッドで端座位になりながら、右手でマットレスをパンパンと叩いた。
「操作方法も問題ないですか」
「今はあんまり使わんけど、まぁ、大丈夫やろ」
「もし、わからないことがあれば、いつでもどうぞ」
「おおきにおおきに」
「あのぉ・・・・・・」
「なんや?」
 「いえ、別に」と、少し臆する私。
「遠慮せんと」
「昨日、息子さんがいらっしゃるとお聞きしたんですが・・・・・・」
「ああ、一人息子が」
 それは意外にもあっさりとした軽い口調だった。
「そのことについて、少しお聞きしたいなぁと思いまして」
「かまへんけど、若い女性にはちょっと重すぎる話かもしれんぞ」
 そう言って田端さんはいたずらに笑った。
「大丈夫です。短い期間ですが、いろんなことに慣れましたから」
 本当にそうだ。これまでの日常生活では触れることのない経験が、この僅か数ヶ月の間に凝縮されている。多少の衝撃は私の日常になりつつあった。